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種々事始或いは花鳥風月の誘(いざな)い

3ヶ月ぶりにmixiにログインして、自分の過去のmixi日記を読み返したら、とまらなくなった。自分の書いたものが好きな僕はなんと仕合わせ(おめでたい?)なのだろう。というわけで、内容は古くなるが、時々、ここに過去のmixi日記を再掲載していこうと思う。


2007年1月4日14:26
年始といえば小倉百人一首(歌がるた)。加えて、88(花札)に愉悦。*1古式床しく馬上豊かな花鳥風月を堪能する。
例えば、11月の「小野道風に蛙」の札。
ある時小野道風*2が小雨の中、池のほとりを散歩しているときのこと。傘を片手に柳の陰に佇んでいると、一匹の蛙が柳の葉の露を虫と思い込み、取ろうとし幾度も跳び上がるのを目にした。はじめは水面から少し離れるほどだったが、何度も繰り返し飛びついているうちに、ついに柳に跳びついた。見ていた道風は「及ばぬ芸も、度重なる念力かたまる時は、ついに成らずということなし」と悟る。その後発奮努力して学問に勤(いそ)しんだ末、遂に能書家として若くして大成した(道風が生きた時代は平安中期。藤原氏全盛の時代で、小野氏の家柄だけで立身栄達できる保障などない)。ちなみに、明治以前は小野道風ではなく、盗賊斧定九郎*3が雨中で逃走する場面の絵柄であった。
花札の起源は、歌留多(かるた)が江戸幕府に禁令を受け、賭博性を隠すために和歌が添えられた花鳥風月で擬装されたもの。各月4枚セットなのは、歌留多が元々トランプを模倣したものであるため。


2006年は決して順風満帆ではなく、寧ろ受難の一年であった。それでもそれを通して成長できることを心より楽しんでいる。志があれば、問題は問題ではなくなる。ちょうど、奇跡は起きるものではなく、起こすものであるのと似ている。蛙が柳に跳びつくことを諦めなかったように。2007年はどんな飛躍ができるであろうか。

参考サイト:花札 今様花袷はせ絵巻

*1:誰が何と言おうが任天堂といえば花札

*2:894-966。藤原佐理藤原行成と共に日本三大文筆、三蹟の一人。日本的な書の典型となる和様書風を確立

*3:仮名手本忠臣蔵の登場人物