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人は信じようとしているものを信じる。そこがいい

「なにこの既視感」 はてなブックマーク数のようなチラシの裏に書くべき個人的心情吐露が、
予想以上に多くの人に閲覧されて戸惑っている。
今日にでも削除しようかと思ったが、id:narukamiさんからコメント欄で質問されたので、
せっかくなので、更に補足記事も書こうという気になった。
例によって長文の自分語りサーセン><


以前にも少々言及したが、僕は「謎は謎のままであるほうが美しい」と思っている。
小説よりも詩を書くことのほうが圧倒的に多いのは、作品として捉えたみたときに、
具体的な背景はないからこそ、読み手が各々の状況によって都合よく変換し、
結果、自己の内面が照射されるということを僕は望んでいるからだ。
まるで、僕が「好きな人ができてしまった。」を読んで、自分の過去に思いを馳せたように。


例えば、歌詞として作った「十一月の雪」という作品を、
「なにこの既視感」 はてなブックマーク数を読んだ人と読んでいない人とでは、
感想がまるで違ってしまうだろう。
僕は自分のことを知って欲しいわけではない。作品そのものを味わって欲しいのだ。


恋愛に於いても似たようなことが言えるかもしれない。
ある異性の意外な一面を発見をしたときにギャップ萌えして、
「もっと知りたい」と思ってしまい、そこから意識しだした、とか。
知ってしまうと「なあんだ、そういうことなのね」と興醒めしてしまう。


そう。その興醒めされるのを、実は恐れているだけなのかもしれない。
本当の自分を知られてしまったら、嫌われてしまわないだろうか、と。


いつだって、僕は第一印象が優れている。ただこれは物腰とか雰囲気によるものだろう。
「柔らかい」「繊細」「シャープ」「優しい」大抵その内のどれかを言われる。
しかし、どうだろう。自分では到底そうは思えない。
途端に僕は不安になっていく。
「そうじゃない、そうじゃないんだよ!」
その心の叫びみたいなものが、「書く」という行為に走らせる。
そうして僕は、自分を落ち着かせている。書くことは癒しなのだ。


だからこそ、具体的であってはならない。
具体的に書いても尚、読み手に誤読され、誤解され、その結果またこう言わてきたからだ。
「柔らかい」「繊細」「シャープ」「優しい」
なんでだろう。自分を読み違えているのは、自分自身のほうなのか?


人の心は不可解だ。
はじまりは、誰にも理解されない気がして、
自分だけが自分を知っているような気がして、
自己確認の為に書いているはずなのに、
いつのまにか僕は・・・理解してくれる誰かを探していた。




「分かってるよ」
僕にそう言ってくれて、しかも、その言葉を額面通り信じられる人がいる。
その人については、このブログ唯一の小説らしき文章に書いている。
僕はずっとその人の存在に助けられてきた。
僕の良い面だけでなく、弱さ、愚かさ、脆さ、格好悪さも知っている。
意地っ張りで素直でなくて、感動屋の泣き虫で、
だけど、情熱があって、そのくせ照れ屋な僕を。
なによりも、本当は理解されたいと願っていることを知っている。
本当に全部分かってもらえているという全幅の信頼がある。


・・・と、信じているのだが、果たして本心だろうか?
厳密に言えばそうではないことは分かっている。
僕はそう信じたいだけなのだ。
実際には、その人が僕の全てを知りえることなど不可能だ。
その人もそう言っていた。
では何故「分かってるよ」などと気安く言えるのか?


その答えもやはり同じではないか。
その人もまた「僕が『信じてもらえてる』と信頼してくれていると信じたい」からだと。
僕はこの兄妹愛のような友情を心から信じているのだ。
こう書くと反発する人がいるだろう。
しかし、(否定派の人には残念ながら)現実にそういう関係はあり得るのだ。

気持ちが盛り上がってる時期の言葉なんて、何年も経ってからあてになるようなものではないのに。今も彼女がその言葉を信じてるとしたら、それは信頼からではなく、自分が望む状況に依存しているだけではないの?
そんな風に思っていたから、私はもう彼の言葉を全く信じなくなっていた。

「好きな人ができてしまった。 (女性編) 」

この記事に対し「ちょっと待って。なにその言説。この考えは怖い。」と
はてなブックマークにコメントを書いたのは、
「もう彼の言葉を全く信じなくなっていた」理由が、
愛を表現する言葉の存在を侮っているからだ。
たしかに人は、愛する気持ちが陽炎のように移ろってゆく。
ただ冷めるだけでなく、憎んだり、無くなったりすることさえある。
それでも、その日、その瞬間に話した言葉は本物であって、
嘘偽りの無い無垢な心ではないだろうか。
そうだと信じられないのは、信じないその人もまた無垢ではないからではないか。


もしも、誰かに心底愛されているという安心を得たいと願うのなら、
まずは、自らその誰かを心底信じればいい。
たとえ、気持ちが盛り上がってるときに口説いた調子のいい言葉であっても、
(信じたいのならば)お世辞ととるのではなく、しかし浮かれるのでもなく、
誠実なものとして自分の中で変換し、誠実に受け留めればいい。
その瞬間に於いて、その人が伝えた想いの熱を感受すればいい。


既出の通り、僕は元カノに裏切られたというのは事実だが、二股をかけてつきあうよりは清算しようとし、また、他に好きな人がいながらつきあい続けるのは僕の愛に対し失礼と判断したからこそ、きちんと別れを告げてくれた彼女の誠実さもまた事実であろうと信じて*1、そのことにとても感謝している。
こういうことを書くと「だからお前は騙されるんだよ」「過去は綺麗に思えるもんだよな(プゲラ)」と揶揄されるかもしれないが、一向に構わない。


好きな人が(それが恋仇であっても)誰かのことを想って大切に守っている言葉を
「あてになるようなものではない」などと一蹴してしまうような人を、僕は信頼することはできない。


たとえ結果として傷つくのだとしても、
僕は言霊とその瞬間の誠実さをいつまでも信じているからだ。

*1:本人に確認していないから希望的観測にすぎないのだが