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ヘルマン・ヘッセの訳詩8選

poem

ノーベル賞作家であるヘルマン・ヘッセ(1877-1962)の小説を子供の頃に読んだことがある人は多かれど、彼の詩を好んで読んだ人はそれほど多くはないだろう。
しかし、彼の作った抒情詩の数は夥しく、また重要である。
とりわけ印象に残る――内省的な魂の遍歴を一貫して小説に綴り続けたヘッセらしい――8つの詩(高橋健二訳)を以下に転載する。
これから先も事ある毎に、これらの言葉が真理の深みを啓示し、
魂は共鳴していくことだろう。

「幸福」


幸福を追いかけている間は、
お前は幸福であり得るだけに成熟していない、
たとえ最愛のものがすべてお前のものになったとしても。


失ったものを惜しんで嘆き、
色々の目あてを持ち、あくせくとしている間は、
お前はまだ平和が何であるかを知らない。


すべての願いを諦め、
目あても欲望ももはや知らず、
幸福、幸福と言い立てなくなった時、


その時はじめて、出来事の流れがもはや
お前の心に迫らなくなり、お前の魂は落ち着く。

「慰め」


数多くの年々が
過ぎ去り、何の意味も持たなかった。
何ひとつ私の手もとに残っているものはなく、
何ひとつ私の楽しめるものはない。


限り知れぬ姿を
時の流れは私のところへ運んで来た。
私はどれ一つとどめることが出来なかった。
どれ一つとして私に優しくしてくれなかった。


よしやそれらの姿は私から滑り去ろうと、
私の心は深く神秘的に
あらゆる時をはるかに越して、
生の情熱を感じる。


この情熱は意味も目あても持たず、
遠近の一切を知り、
戯れている時の子供のように
瞬間を永遠にする。

「十一月」


ものみなが覆われ、色褪せようとする。
霧の日々が不安と心配を孵(かえ)す。
嵐の吹きすさんだ夜が明けると、氷の音がする。
別れが泣き、世界は死に満ちている。


お前も死ぬことと身を任せることを学べ。
死ねるということは、神聖な知恵だ。
死の用意をせよ――そうすれば、死に引立てられながらも、
より高い生へはいって行けるだろう!

「イタリアを望む」


湖のかなたに、バラ色の山の後ろに、
イタリアが横たわっている、私の青春の賛仰の国が、
私の夢になじんだ故郷が!
赤い木立ちは秋を語っている。
私の一生の秋の始めにのぞんで
私はひとり座って、
世界の美しいむごい目を覗き込み、
愛の色を選んで、描く。


この世界は私をあんなにも度々欺いたが、
私はやっぱり世界をいつもいつも愛している。
愛と孤独、
愛と満たされぬ憧れ、
それが芸術の母だ。
私の一生の秋にもまだ、
それらは私の手を引いて導いてくれる。
その憧れの歌が
湖と山々と、別れを告げる美しい世界に
不思議な力で輝きを広げる。

「短く切られたカシの木」


カシの木よ、お前はなんと切り詰められたことよ!
なんとお前は異様に奇妙に立っていることよ!
お前はなんと度々苦しめられたことだろう!
とうとうお前の中にあるものは反抗と意志だけになった。
私もお前と同じように、切り詰められ、
悩まされても、生活と絶縁せず、
毎日むごい仕打ちを散々なめながらも、
光に向かって額を上げるのだ。
私の中にあった優しいもの柔らかいものを
世間が嘲(あざけ)って息の根を止めてしまった。
だが、私というものは金剛不壊(ふえ)だ。
私は満足し、和解し、
根気よく新しい葉を枝から出す、
いくど引き裂かれても。
そして、どんな悲しみにも逆らい、
私は狂った世間を愛し続ける。

「ある友の死の知らせを聞いて」


無常なものは速やかにしぼむ。
枯れた年々は速やかに散り去る。
久遠(くおん)と見える星も嘲りの光を放っている。


私達の胸の魂だけが、
嘲らず、痛まず、動ぜず、
世の営みを見ているだろう。
魂にとっては、「無常」も「久遠」も
等しく貴くもあり、詰らなくもある・・・


だが、心は
それに逆らい、愛に燃え上がり、
身を委ねる、しぼむ花よ、
限りない死の叫びに、
限りない愛の叫びに。

「あらしの後の花」


兄弟のように、みんな同じ方を向いて
かがんだ、滴の垂れる花が風の中に立っている。
まだおどおどとおびえ、雨にめしいて。
弱い花はいくつも折れて、見る影も無い。


花はまだ麻痺したまま、ためらいつつおもむろに
頭を懐かしい光の中にまた上げる。
私達はまだ生きている、敵に飲み込まれはしなかったと、
兄弟のように、最初の微笑を試みながら。


その眺めで私は思い出す。自分が気も遠く
ぼんやりとした生の衝動に駆られ、闇と不幸とから、
感謝しつついとおしむ優しい光に
立ち帰った時の数々を。

省察


精神は神の如く永遠である。
我等はその似姿であり道具であって、
我等の道はこの精神に向かっている。
我等の切なる憧れは、精神の如くなり、その光に輝くことである。
しかし我等は地上のもので、死すべきものに造られている。
我等被造物の上には鈍く重みがかかっている。
自然は優しく母らしく暖かく我等を抱き、
大地は我等に乳を与え、揺りかごと墓は我等を寝かせる。
しかし自然は我等に平和を与えない。
不滅な精神の火花が
自然の母らしい魔力を貫いて、
父らしく幼な児をおとなにし、
無邪気さを消し去り、我等を戦いと良心に呼び覚ます。
こうして、母と父の間、
肉体と精神の間に、
創造の最ももろい子はためらう。
人間はおののく魂で、他のどんなものにもまさって、
悩む力を持つとともに、至高のものを果たす力を持つ。
至高のものは即ち、信仰と希望と愛を備えた愛。


人間の道は困難で、罪と死がその糧である。
しばしば彼は闇に迷い、生れざりしならば、
と感ずることもしばしばである。
しかし彼の上には永遠に彼の憧れと
使命が輝いている。即ち光と精神とが。
そして我等は感じる、危うきもの、人間を、
永遠なものは特別な愛をもって愛しているのを。


それ故、我等迷える兄弟には
仲たがいのうちにあっても愛は可能である。
裁きと憎しみでなくて、
辛抱強い愛が
愛する忍耐が
我等を神聖な目標に近づける。