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恋愛詩の金字塔 黒田三郎「ひとりの女に」

poem

昭和29年に発表され、H氏賞受賞をした詩集「ひとりの女に」。
この一冊を超える恋愛詩集は国内では未だ出ていない。
終戦後の極貧の時代に書かれたものとは思えない、瑞々しさと喜びを湛えている。
この戦後詩だけでなく恋愛詩を代表する詩集のオリジナル版が、Amazonでたったの15000円で入手可能だ。

実は思潮社の現代詩文庫にも全篇所収されているが、ここは是非オリジナルを手元に置きたい。
ちなみに黒田三郎の「詩の作り方」も文学を愛する人すべてにお勧めする。



茨木のり子はときどき一人で“値段ごっこ”というのをやって、この世の流通機構をひっくり返すそうだ。
彼女にとっては、ダイヤモンドやミンクの毛皮は身につけたいと思わないからがらくた並みで、この黒田三郎などお気に入りの詩には一篇五億円の価値があるとしている。

この“値段ごっこ”をときどき脳内で真似ることがある。
かつて僕が書いた恋愛詩は今読み直しても自分にとっては値千金と自負している。
妻にクリスマスプレゼントを贈るなら、ごった返す百貨店の宝石売場の高級品よりも、
妻のためだけに宛てた詩を贈ることのほうが数千、数万倍の価値があると本気で思っている*1
そんな訳で、自分の創作をWEBで無料で公開することをいつしか控えるようになったのだが、
いずれは黒田三郎のようにひとりの女にあてた詩を世に公表し、捧げた女性に憤慨されようかと思っている。


昨年のクリスマスにはクリスマスソング名曲選アルバム傑作選を書いたが、
今年は、僕の越えられない壁であり、目標であり続けている詩集「ひとりの女に」から恋愛詩の名作を選りすぐって5篇掲載する。
恋をしているすべての人の目に触れ、心を動かし、至上のクリスマスプレゼントになりますように。
メリー、メリー・クリスマス!


●賭け●


五百万円の持参金付の女房を貰ったとて
貧乏人の僕がどうなるものか
ピアノを買ってお酒を飲んで
カーテンの陰で接吻して
それだけのことではないか
美しく聡明で貞淑な奥さんを貰ったとて
飲んだくれの僕がどうなるものか
新しいシルクハットのようにそいつを手に持って
持てあます
それだけのことではないか


ああ
そのとき
この世がしんとしずかになったのだった
その白いビルディングの二階で
僕は見たのである
馬鹿さ加減が
丁度僕と同じ位で
貧乏でお天気やで
強情で
胸のボタンにはヤコブセンのバラ
ふたつの眼には不信心な悲しみ
ブドウの種を吐き出すように
毒舌を吐き散らす
唇の両側に深いえくぼ
僕は見たのである
ひとりの少女を


一世一代の勝負をするために
僕はそこで何を賭ければよかったのか
ポケットをひっくりかえし
持参金付の縁談や
詩人の月桂冠や未払の勘定書
ちぎれたボタン
ありとあらゆるものを
つまみ出して
さて
財布をさかさにふったって
賭けるものが何もないのである
僕は
僕の破滅を賭けた
僕の破滅を
この世がしんとしずまりかえっているなかで
僕は初心な賭博者のように
閉じていた眼をひらいたのである


●僕はまるでちがって●


僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じネクタイをして
昨日と同じように貧乏で
昨日と同じように何にも取柄がない
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じ服を着て
昨日と同じように飲んだくれで
昨日と同じように不器用にこの世に生きている
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
ああ
薄笑いやニヤニヤ笑い
口を歪めた笑いや馬鹿笑いのなかで
僕はじっと眼をつぶる
すると
僕のなかを明日の方へとぶ
白い美しい蝶がいるのだ


●明日●


明日などはなかった
この世の汚辱のなかで滅びるに任せようと
明日のないその日その日を送る以外に
僕にはどんな運命もありはしなかった
明日も今日のように
僕は煙草をくわえ
ビルディングの二階でエンピツを握って暮らすであろう
しかし明日などはありゃしないのだ
腹立ちまぎれに
僕がくしゃくしゃに書類をまるめようと
僕がのんびりビールを飲んでいようと
いつのまにか有能な課長になっていようと
しかし明日などはありゃしないのだ
風のように気まぐれな少女よ
そのとき僕はあなたの眼のなかによんだのだ
その言葉を
「明日はある
信じなさい 明日はある」
気まぐれな少女よ
もしもそのとき僕が
あなたに賭けさえしなかったら!


「明日はある」
僕は取り返しのつかない一度限りの勝負をした
風のように気まぐれなあなたの運命に
僕の運命を重ね合わすことが出来さえすれば!
「明日はある」
そのとき
僕は乱暴にほうったのだ
かわらけよりもこわれやすい僕の運命を


●あなたも単に●


あなたも単に
ひとりの娘にすぎなかったのだろうか
とある夕あなたは言った
「あなたに御心配かけたくないの
私ひとりが苦しめばそれでいいのですもの」


あなたも単に
ひとりの娘にすぎなかったのだろうか
とある夕あなたは言った
「あなたがひと言慰めて下さりすれば
私はどんなに苦しんでも
それで十分報いられたのでしたのに」


あなたも単に
ひとりの娘にすぎなかったのだろうか
とある夕あなたは言った
「あなたなんて
一寸も私の苦しみを察して下さらない
あなたなんて」


●突然僕にはわかったのだ●


僕は待っていたのだ
その古めかしい小さないすの上で
僕は待っていたのだ
その窓の死の平和のなかで


どれほど待てばよいのか
僕はかつてたれにきいたこともなかった
どれほど待っても無駄だと
僕はかつて疑ってみたこともなかった

突然僕にはわかったのだ
そこで僕が待っていたのだということが
そこで僕が何を待っていたのかということが
何もかもいっぺんにわかってきたのだった


けしに吹くかすかな風や
煙突の上の雲や
雨のなかに消えてゆく足音や
恥多い僕の生涯や


何もかもいっぺんにわかったとき
そこにあなたがいたのだった
パリの少年のように気難しい顔をして
僕の左の肩に手を置いて


関連リンク
黒田三郎研究?

*1:勿論、宝石を贈ることもときには楽しむのだが