日本の近代詩に影響を与えた訳詩集傑作選その2


 前回の記事で採り上げた『日本の詩歌28 訳詩集』(1969年)から25年後に発行された、
『近代の詩人 別巻 訳詩集』(編:加藤周一 1996年潮出版社刊)に
新たに収録された訳詩集は、加藤周一が選定で大いに教示を受けた
谷川俊太郎編『愛の詩集』をはじめ、
中原中也全訳詩集』、鈴木信太郎訳『ヴィヨン全詩集』『悪の華
そして、福永武彦象牙集』。

 福永武彦といえば『芸術の慰め』という芸術評論の名著*1もあるが、
この訳詩集『象牙集』で用いられる言葉達も美しい。

羊毛よ、うなじにまでうねり行く波!
おお巻毛よ、懶惰(らんだ)の想ひにみちた匂!
この恍惚! 遠い日に眠る思ひ出を編み、
小暗い臥床(ふしど)を埋めるために、今宵
ハンカチのやうに宙に振らうか、お前の髪!


ものういアジアよ、燃えあがるアフリカよ、
すべての遠い、不在の、殆んど死に絶えた世界は
お前の深みのうちに生きる、おお匂の森よ!
音楽に人の想ひは引かれるやうに、心は
恋人よ! お前の薫りのあとをさまよふ。


私は行かう、その国に、樹々と人とは生気に溢れ、
風土の熱のもとに長い日を疲れ倦む。
豊かな巻毛よ、私を遠く運ぶ波となれ!
黒檀(こくたん)の海よ、この海に眩しい夢は含む、
帆と帆柱と吹流しと水夫の群。


鳴りひびく港よ、そこにわが魂はかたむける、
色と匂と響きとの充ち溢れるさかづきを、
行きかふ船は金にきらめく波間をすべる、
両腕(もろうで)を差しのべて澄み切つた空の栄光を
抱きしめる船、この空に久遠の暑気は揺いでゐる。


沈めよう、陶酔にあこがれる私の頭を
潮騒の海を埋めるお前の黒い海原に。
鋭く冴えた精神はそこに見出すだらう、
おお実り多い怠惰よ、横揺(よこゆれ)の波の愛撫に
香(かぐ)はしい閑雅の時の、尽きない子守唄を!


青い髪よ、張りめぐらされた夜の天蓋、
お前は私に極みない空の青を与へる、
渦まく髪、生毛(うぶげ)の生えたあたりに漂ひ、
椰子の油と麝香(じゃこう)と瀝青(れきせい)との入り混る
匂には、私を焼きつくす熱烈な酔。


いつまでも、変らずに! 重いたてがみに埋める手は
紅玉をも、真珠をも、碧玉をも蒔き散らさう、
私の願ひを、欠かさずお前が聞き入れるためには!
お前は私の夢みるオアシスではないか、おお、
また思ひ出の酒をなみなみと飲みほすふくべでは?


シャルル・ボードレール「髪」 福永武彦訳 

●『於母影』 新声社訳 

  • ミニヨンの歌 ゲーテ
  • ツウレの王 ゲ−テ


●『沙羅の木』 森鷗外

  • 海の鐘 デエメル


●『海潮音』 上田敏

  • 声曲 ガブリエレ・ダンヌンチオ
  • 人と海 シャルル・ボドレエル
  • 落葉(らくえふ) ポオル・ヴェルレエヌ
  • わすれなぐさ ヰルヘルム・アレント
  • 山のあなた カアル・ブッセ
  • 春の朝 ロバアト・ブラウニング
  • 鷺の歌 エミイル・ヴェルハアレン
  • 故国 テオドル・オオバネル
  • 海のあなたの テオドル・オオバネル


●『牧羊神』 上田敏

  • 蟾蜍(ひきがえる) トリスタン・コルビエェル
  • 日曜 ジュル・ラフォルグ
  • 髪 レミ・ドゥ・グルモン
  • 白鳥 ステファンヌ・マラルメ


●『草の葉(ホヰットマン詩集)』 有島武郎

  • ブルックリン渡船場を過ぎりて ワルト・ホヰットマン


●『珊瑚集(仏蘭西近代抒情詩選)』  永井荷風

  • 秋の歌 シャアル・ボオドレエル
  • ましろの月 ポオル・ヴェルレエン
  • 道行 ポオル・ヴェルレエン
  • 返らぬむかし ポオル・ヴェルレエン
  • 偶成 ポオル・ヴェルレエン
  • 仏蘭西の小都会 アンリイ・ド・レニエエ
  • 年の行く夜 アンリイ・ド・レニエエ
  • 暮方の食事 シャアル・ゲラン


●『白孔雀』 西條八十訳 1920

  • 大鴉(おほがらす) エドガア・アラン・ポオ

●『月下の一群』 堀口大学


●『リルケ詩抄』 茅野蕭々訳


山内義雄訳詩集


●『新訳リルケ詩集』 片山敏彦訳


●『愛の詩集』 谷川俊太郎


●『ヴィヨン全詩集』 鈴木信太郎

  • バラッド<疇昔の美姫の賦> ヴィヨン


●『悪の華』 鈴木信太郎

●『中原中也全訳詩集』


●『象牙集』 福永武彦


最後に、訳詩について示唆に富む一節を掲載する。

詩を翻訳するに当つて、その内容である所の意味は、翻訳して伝えることが出来るかも知れませんが、原作の詩の形式即ち言葉から来る美しさは、どうして之を伝え得るでせうか?
詩に於ける言葉は即ち韻であり、律であり、音楽であります。これ等のものが、詩の効果の半分以上も背負つて立つてゐる重要な要素なのであります。然もそれは詩の内容と不可分の関係にあるものなのであります。つまりそれは内容を叩いて発した響のやうなものであります。この響は翻訳の上にはどうなつて現はれるのでありませうか?
これが詩の翻訳に就いての最も重大な問題であります。


堀口大學

*1:『芸術の慰め』で有名な一節。「一冊の画集、或いは一冊の詩集、或いはラジオのレシーヴァから洩れて来る音楽の流れは、私に生きることの価値を教えてくれた。芸術は確かに一つの慰めである。それも人を生へと導く力強い伴侶である。単に苦しい時悲しい時の慰めというだけではない。私たちは芸術作品の中に、直接私たちを揺り動かす魂の羽ばたきを感じる。それは生きることの愉しさを私たちにしらせて、魂の領域をひろげ、やわらげ、高めるものである」