思ひ潜めよ、わが魂《こころ》、この荘重の瞬間《たまゆら》を 斎藤磯雄によるフランス翻訳詩

ボードレール全詩集」「ヴィリエ・ド・リラダン全集」「七宝とカメオ」(ゴーティエの詩集)の翻訳で知られるフランス文学者、斎藤磯雄。日夏耿之介に私淑し、漢詩漢文の素養がある彼の絢爛として雄勁な翻訳に対する評価は、漢語雅言を駆使した彫心鏤骨の名訳とする肯定派と、徒に晦渋であるという否定派と毀誉褒貶相半ばする*1

 ここ数日、翻訳詩を超え、"創作"詩にまで高めたと評される彼の翻訳詩集、『近代フランス詩集』を読んでいた。
兎角、翻訳に対しては原文至上主義からは誤訳や意訳の功罪について取り沙汰されることが多い。
著者自身による後記には「私は人に倦み、己れに倦んだ時、好んで遠い国の、亡き魂に潜入する。これらの訳詩は、それ以外のいかなる目的も有たなかった」とした上で、「自らの異なる言葉をこの詩に合体せしめようとする時の焦燥や、懊悩や、無力感によって、一段と深く、一段とつぶさに、その詩の魂を生き得るように思う」と述べている。

 個人的にはこの翻訳詩集で特筆すべき美点は、原詩の持つ韻律のままに日本語でも誦することができるよう音数律が諧和されていることにあると思う。
ドビュッシー等のフランス歌曲を吟唱し、ピアノを弾いた音楽的素養があり、また、ボードレールからマラルメ、そしてヴァレリーへと受け継がれた「純粋詩」を理想とする著者による次の文章は、翻訳に対する彼の基本理念がよく表れている。
「或る観念、或る幻影、或る情緒をよびさます音綴の数、語の組み合わせ、律動、韻律、諧調の秘密を探求することの方が、外部生活とのつながりを見出すことよりも、私には遥かに重要なことに思われた」

ランボー酔いどれ船」、ヴァレリー「海辺の墓地」をはじめとする長編詩や、ユゴー、ラマルティーヌ、ラフォルグ、サマン、メーテルリンク、レニエ、ピエール・ルイスなど、ロマン派〜高踏派〜象徴派を代表する詩人達の名唱の多くをスペースの都合上割愛するが、以下に、馥郁たる近代フランス詩の絶唱を引用す。
 
 
         シャルル・ボオドレエル「深淵」
 
パスカルに深淵ありて、傍らを離れざりけり。
――嗟《ああ》、なべて、邃《ふか》き潭《ふち》かな、――行為《おこない》も、欲望《のぞみ》も、夢も、
言の葉も。而してわれは、あまた度《たび》、わが逆立てる
髪の上、「畏怖《おそれ》」の風の吹きゆくを、緊《ひし》と覚えぬ。
 
上と下、到るところに、底なき幽玄《ふかみ》と、荒磯《ありそ》、
沈黙《しじま》、はた、心を奪ふ恐ろしき虚空の相《すがた》、・・・・・・
わが夜の暗き奥処《おくが》に、神はその聡き指もて
小止《をや》みなき変幻自在の悪夢をば、描かせ給ふ。
 
茫然と畏怖立ち籠めて、いづかたへ到るともなき、
洞穴を恐るるごとく、われはかの、睡眠《ねむり》を恐る。
ありとある窗《まど》の彼方にわが見るは、唯、無限のみ。
 
かくてわが、常住不断の眩暈《くるめき》に憑かれし、精神《こころ》、
かの、虚無の、不感覚を。、ひたぶるに求めて已《や》まず。
――咨《ああ》「数」と「存在」とより、遁《のが》れむにすべなきわれか。
 
 
         シャルル・ボオドレエル「夕《ゆふべ》の調《しらべ》」
 
時は来りぬ見よ今し瑞枝《みづえ》の先にふるへつつ
花ことごとく薫《くゆ》りたち揺ぐ香炉にさも似たり。
音も馨《かをり》もたそがれの大気のなかに渦巻きて、
愁《うれひ)を含む円舞曲、恋に物憂き眩暈《めくるめき》。
 
花ことごとく薫りたち揺らぐ香炉にさも似たり。
悩める心さながらにヴィオロンの絃《いと》わななきて
愁を含む円舞曲、恋に物憂き眩暈。
空は悲しく美はしく大祭壇に似たるかな。
 
悩める心さながらにヴィオロンの絃わななきて、
果涯《はてし)もあらぬ暗澹の虚無を憎める、優《やさ》ごころ。
空は悲しく美はしく大祭壇に似たるかな、
沈みゆく陽はわれとわが凝《こご》る血潮に溺れたり。
 
果涯もあらぬ暗澹の虚無を憎める、優ごころ。
燦《きらめ》きわたる過去《こしかた》のなべての名残尋《と》め集む。
沈みゆく陽はわれとわが凝る血潮に溺れたり。……
君が面影わが胸に輝くさまや聖体盒《せいたいがふ》。
 
 
         ヴィリエ・ド・リラダン「翔びゆかむかな」
 
幽玄の奥処《おくが》にわれは翔びゆかむかな、
現世《うつしよ》とその陰惨の法を遁れて。
かくてわれ、汚穢《をゑ》の巷を遠く離《さか》りて
   不滅の薔薇を手に摘み採らむ。
 
汝《なれ》をさし飛び立たむかな、あはれ沈黙《しじま》よ・
忘却は大滄溟《おほわだつみ》か、遠方《をちかた》に待つ。
――ありし日に槍つらぬけるこの心には
   はや苦きもの一つだになし。
  
猛禽の鼓翼《はばたき》つよく、われ翔びゆかむ、
衆生《ひとみな》の絶えて知るなき、あまたの国を。
蓋《けだし》、わが、求めて已《や》まぬ礼《ゐや》は、唯これ、
   世上の人の無関心なり。
 
 
         ヴィリエ・ド・リラダン「エレンに寄す」
 
              死よりも苦し。 ソロモン
 
吹きすさぶ君がみ冬に寒風に
魂《こころ》みな、落葉となりて飛び散らふ。
毒草の、命を奪ふ汁の味、
邪《よこし》まの君が涙に似たるかな。
 
言ひしれぬ甘《うま》しき叫び放ちては、
復讐を果すに似たる閨《ねや》の秘戯。
君が恋、遠《をち》に御空《みそら》を逐ひやりて、
接吻《くちづけ》は堕罪天使を偲ばしむ。
暗澹とわが太陽の消えし時、
わが見しは、闇の華なる、君が眼《まみ》。
呪はれて、また呪はれし、秘密《ひめごと》の
痛ましき告白あまた、聴きし、われ。
 
面紗《かほぎむ》のかげに乱るる眩暈《くるめき》は
わが額《ぬか》をあらはの腕にいざなひぬ。
かくてわれ、君が氷河に、味はひぬ、
星もなき、夜また夜の、懊悩《くるしみ》を。
 
久しくも蒼褪めしかな、君ゆゑに。
さはれ今、欲望《のぞみ》もあらず、畏怖《おそれ》なく、
抱擁《だきしめ》の墓穴の中に、この身をば
埋めむと希ふ心も失せにけり。
 
われは吸ふ、渚をわたる潮風を、
ああ、君が門辺《かどべ》を遠き快さ。
しかすがに、喪の色なせる君が髪、
今もなほ、影を落せり、わが夢に。
 
 
         ステファヌ・マラルメ「あらはれ」
 
月魄《つきしろ》は愁いを帯びぬ。流涕《りうてい》のセフラ天使ら、
おぼめける花のそのふの幽《しづ》けきに、楽弓《ゆみ》を手にとり、
夢みつつ、絶えも入りなむ七絃の胡弓を弾けば
葩《はなびら》の碧《へき》瑠璃の上《へ》をすべりゆく白き嗚咽や。
――そは君が初の接吻《くちづけ》たまひたる佳き日なりけり。
わが想ひ、われとわが身をさいなむを好みてあれば、
よしたとへ悔《くい》も恨みも覚えざれ「夢」の果実《このみ》を
摘みしとき、摘みし心に馥郁と漂ひ残る
悲しみの薫香《くゆりが》にこそ、さかしくも酔ひ痴れにけれ。
さればわれ、古りし舗道に眼《まなこ》すゑ、さまよひゆきし
折しもあれ、燦《きら》らの陽ざし髪に籠め、道の行手に
夕暮のさなかに君の、笑みわたり、あらはれたれば、
かつての日、甘え子なりしわが美《は》しき睡眠《ねむり》のなかに
芳しき星辰《ほし》の真白き花束を、手《た》握りあへぬ
双の手ゆ、絶え間もあらず雪ふらし、過がひて去れる
光明の冠《かむり》いただく魔女を見し心地ありけり。


         ポオル・ヴェルレエヌ「感傷的な対話」

古りし苑生《そのふ》のうら枯れて寂しきなかを
二つの影はあらはれてまた消え失せぬ。
眼《まなこ》おとろへくちびるは萎《しな》えたるみて
交わす言葉も聴きがてにとぎれとぎれや。
 
古りし苑生のうら枯れて寂しきなかを
妖怪《あやかし》ふたりありし日に想ひを馳せぬ。
――夢見ごこちのあの頃を覚えておいでか。
――覚えてゐてもどうなると仰有るのです。
 
――今もわたしの名を聞けば胸が高鳴り、
夢にわたしの魂を見るかね。――いいえ。
 
――ああ、くちびるとくちびるをひたと合せた
あの言ひしれぬ幸ひの日々。―― それもさう。
 
――青かったなあ、空のいろ、望みも、高く。
――望みは、敗れ、闇空へ消え去りました。
 
かくして影は烏麦かき分けて行き、
その語らひを聞きしもの、ひとり夜のみ。
 
 
         ポオル・ヴェルレエヌ「月の光」
 
君が魂《こころ》はいみじくも妙《たへ》なる景色
そのい風情いや増し仮面、仮装隊、
琴、清掻《すがが》きつ、はた舞ひつ、纏へる衣《きぬ》の
妖しけれ、悲しみの色、仄かなり。
 
誇りかの恋、うまし世のめでたき状《さま》を、
短調の旋法《しらべ》に載せて歌へども、
わが身の幸をうべなへる素振は見えず、
歌のこゑ、月の光に、入り乱れ、
 
月、和やぎて、悲しくも美はしければ、
葉がくれに小鳥の夢のまどかなり、
吹上の水、恍として咽《むせ》び泣きつつ
楚楚たる姿、大理石《なめいし》の像のさなかや。
 
 
         ジェラアル・ド・ネルヴァル「幻想」
 
ロッシニを、モツァルト、はた、ウェエバアを、
われ惜しみなくうたむ調《しらべ》こそあれ。
ふし、いとど、古りて、物憂く、傷ましく、
ひとりわがため、ゆかしさを秘むるに似たり。
 
耳澄まし聴き入るごとに、つねにわれ、
わが魂の、二百歳、若やぐを知る。
御代《みよ》今し、ルイ十三世・・・・・まぼろしの
緑の丘を黄に染めて、沈みゆく陽や。
 
城館《やかた》見ゆ。煉瓦づくりの、隅は石、
焼絵玻璃《がらす》も淡紅《たんこう》の色に耀《かがよ》ふ。
そのほとり、広き苑生《そのふ》に、川ありて
礎ひたし、咲く花のあはひを流る。
 
打仰ぐ窗《まど》のあたりに姫君や、
黒き瞳に、金の髪、過ぎし世の衣《きぬ》・・・
恐らくは、生生流転の、往昔《そのかみ》に、
既にまみえし面影の――浮かべるならむ。
 
 
         マルスリイヌ・デボルド・ヴァルモオル夫人 「サアヂの薔薇」
 
この朝《あした》きみに薔薇《そうび》を捧げんと思ひ立ちしを、
摘みし花むすべる帯にいとあまた挿み入るれば
張りつめし結び目これを抑ふるにすべなかりけり。
 
結び目は破れほどけぬ。薔薇の花、風のまにまに
飛び散らひ、海原めざしことごとく去つて還らず。
忽ちにうしほに泛《うか》び漂ひて、行手は知らね、
 
波、ために紅に染み、燃ゆるかと怪しまれけり。
今宵なほ、わが衣、あげて移り香を籠めてぞくゆる・・・・・・
吸い給へ、いざわが身より、芳はしき花の想ひ出。
 
 
         マルスリイヌ・デボルド・ヴァルモオル夫人 「わが部屋」
 
わが住まひ高きにありて
大空に窗《まど》はひらけば
青ざめて愁ひ顔なる
月魄《つきしろ》や、まらうどの君。
呼鈴の下にきこゆれ
今の身に何するものぞ、
かの人の訪《おとな》ひならず、
誰をかも迎へいづべき。
 
世の人の眼《まなこ》を避けて、
刺繍《ぬひとり》の花のすさびや。
今更に人を怨まね、
わがこころ涙にあふる。
帳《とばり》なき紺碧の空、
ゐながらにうち仰ぐわれ。
われは見るきらめく星を、
さはれまた雨を嵐を。
 
わが椅子にひたと向き合ひ
椅子ひとつ人待つけはひ。
かつての日、かの人ありき、
束の間は二人ありけり。
絹紐のしるしをつけし
この椅子の彼処《かしこ》にありて、
わびしらに諦めしさま、
さながらにわが姿かな。
 
 
         テオフィル・ゴオティエ「ひそめるゆかり」
 
            ――――汎神論的マドリガル
 
古りし世のさる神殿《みやゐ》の破風に、
大理石《なめいし》ふたつ、三千年間、
アテネの空の青地にうかべ
真白き夢を並べ飾りぬ。
 
同じき貝のなかに凝《こご》りつ、
ヴェニュスを傷む波の涙か、
二つの真珠、淵に沈みて、
何かは知らね言葉を交わしぬ。
 
ジェネラリーフの涼しき苑生《そのふ》
歎かひやまぬ吹上のかげ、
ボアブディルの世、二輪の薔薇《さうび》は、
花びらをしてささやかしめぬ。
 
また、ヴェネチアの円《まる》屋根の上、
脚《あし》、紅淡き、二羽の白鳩、
永久《とは》に易《かは》らぬ愛の巣ふかく、
五月《さつき》のゆふべ翼やすめぬ。
 
大理石、真珠、薔薇、はた、鳩、
なべて崩《くづほ》れ、なべて滅びぬ。
真珠は溶けて、大理石は落ち、
花は萎れて、鳥は失せたり。
 
形あるもの、神、これをみな
普遍の捏粉《ねりこ》に融かし給ふを、
膨らしむべく、砕けし破片は、
深き坩堝の中に消えゆく。
 
変幻、化成、徐徐に起りて、
白大理石は白き肉体《ししむら》、
紅き花また紅き唇《くち》へと、
もろびとの身に、作り直さる。
 
若き相思のふたりの胸に
鳩は、やさしくまた含み啼き、
美《は》しき笑《ゑま》ひの宝石筐《ばこ》に、
真珠は、皓《しら》歯のかたちに鋳らる。
 
これ、拒み得ぬうましさみてる
共感の情胸にあふれて、
到るところに、心と心、
はらからなるを覚ゆる所以。
 
くゆり香、光、あるは彩《あいろ》の
いざなひ招く声に応じて、
花をめざせる蜜蜂のごと
原子《アトム》は原子をさして飛びゆく。
思ひいづるは、破風の上、はた
海の底なるありし日の夢。
波さやかなる泉のほとり
香にこそ匂へ花の語らひ。
 
黄金《こがね》の球《たま》ある円屋根の上《へ》に
交せる接吻《くちづけ》、羽根のをののき。
心移らぬ微粒子のむれ
なほもかたみに、慕ひ、求めつ。
 
忘られし恋今しめざめて、
おぼろに浮ぶ遠き昔や。
花は真紅のくちびるに触れ、
わが息を吸ひ、われなりと知る。
 
笑ひのきらめく皓歯の貝に
真珠はおのが白さを認め、
乙女の肌《はだへ》に、恍惚として
大理石は知る、おのが清《さや》けさ。
 
鳩は聴くかな、うましき声の、
おのが歎きの反響《こだま》なせるを。
抗ふ力、なべて失せゆき、
見知らぬ人は、恋びととなる。
 
君をし見れば、焦れ、をののく。
いかなる円屋根、薔薇、破風、波の、
対なる二人をかつて知りけむ、
問はず、鳩、花、大理石、真珠を。
 
 
         テオフィル・ゴオティエ「蝶」
 
雪《みゆき》のいろの蝶のむれ
海原の上《へ》を舞ひすがふ。
白き胡蝶よ、いつの日か
われ、青空を進み得ん。
 
君は知れるや、たをやめよ、
黒玉の眼の舞姫よ、
われに胡蝶の翅《はね》あらば
いづかたさして飛びゆかん。
 
薔薇ひとつだに口ふれで、
われ、谷わたり、森こえて、
夢の華かと綻《ほころ》べる
唇にこそ、絶え入らん。
 
 
         フランシス・ジャム「小曲」
 
わたしは今でもおぼえてゐる、あの森かげの、あの花を。
楡《にれ》の若木の窩《うろ》にゐたあの昆虫を。鴫《しぎ》一羽
パッと飛び立つそのさまがまだ眼に浮かぶあの狩猟《かり》を。
とある畑で飲みほした、あの一杯の真清水を。
 
けれども齢《よはひ》やや闌《た》けた今では忘れ去つてゐる
いとほしかったあの声を。胸にあふれてしまふほど
心を占めたあの心、あでやかだったあの顔を。
そしてわたしを恋人と呼びかけたあのくちびるを。
 
あの声とまた、あの心、あの顔と、あのくちびると。
あちらの方でも、どうかこのわたしをすつかり忘れ果て
あのふたすぢの情火から跡形ひとつ留めぬやう。
 
思ひ出はただ、春のばら、それから、夏に蜜蜂や、
草のしげみに野兎が躍つてつけた足あとや、
つまり、ふたりのあの頃と遠い何かであつてくれ。
 
 
         ジェラアル・ドゥヴル夫人「なぐさめ」
 
徒《いたづ》らに喞《かこ》ち給ふな君がむねいとど暗きを。
さめざめと泣きての後《のち》は君が眼《まみ》いや美はしく、
涙より君が傍《かたへ》の暗がりに咲きもこそすれ、
芳はしさ世にためしなき珍らかの白百合の花。
 
徒らに喞ち給ふなつゆさらに疑はずして
たまゆらに移ろふものを限りなきいのちと見しを。
かくてこそ、恋に破れし胸のごと血潮に染める
厳かのたそがれどきを身に沁みて味はひ得むに。
 
徒らに喞ち給ふ霊妙《くしび》なる悩みごこちを。
なべてかの幸《さち》ある人はその胸にとどろきわたる
神寂びし鼓動のこゑに心して耳かたむけず。
なべてかの幸ある人や、うつそみの生《いのち》を知らじ。
 
徒らに喞ち給ふなかくばかり苦きをしへを。
過ぎ去りて消えゆくものをいや深く君は知らむに。・・・
寂しさとひたと寄添ひ、かくてこそ味はひ得むに
うら枯れし苑生《そのふ》のなかにゆふぐれの絶え入るさまを。
 
 
         シャルル・グランムゥジャン 「めぐりあひ」
 
初めて君に逢ひしとき、憂愁《うれい》に沈むわれなりき、
さるを執念《しふね》き苦しみも、いま、安らへる心地すれ。
おお告げ給へ、君こそは、思ひまうけぬ女《をみな》、はた、
ひたに求めて徒《あだ)なりし、美《は》しき極みの夢なりや。
 
あはれ眼差《まざし》もやさしげに道ゆく女《ひと》よ、そも君は、
世に孤《そむ)き立つ詩人《うたびと》に、幸《さち》もたらさむ友なりや、
追放《やらはれ》びとの胸に沁むふるさとの空さながらに、
わが揺るぎなき魂に燦(きら)らのひかり放たむや。
 
われと等しく、人を避けひとり歎かふ性《さが》ゆゑに、
君、賞《め)づるなれ、太陽の海原の上《へ》に傾くを。
涯《はて)なきものを眺むれば我を忘るる君にして、
また夕ぐれのうましさを、貴《あて》なる魂《たま》はなつかしむ。
 
神秘《くしび》にみちて快きあくがれごこち、既にして
生ける絆をさながらに、わが身を君に繋ぐかな、
すずろに君の慕はしく、わが魂はをののきて、
深くは君を知らざるに、心は君をいとほしむ。

*1:否定派の生田耕作リラダン『残酷物語』の翻訳を「こけおどしのインチキ文語調。いかにも戦後育ちの漢字コンプレックス読者が随喜の涙をこぼしそうなしろものなり。読みながら思わず吹き出しそうになる個所数えきれず」と評した。肯定派の松岡正剛は、同じリラダンの訳業を「徹底に彫啄された斎藤磯雄の日本語名人芸がなければ、ぼくはここまでリラダンに肩入れしなかったかもしれない」と絶賛している。id:sbiacoさんは先日ボードレール悪の華」の訳を「あまり印象に残らず、感心もしなかった」としている