吾唯足知

2006年11月17日21:18
徳川光圀*1が寄進した京都・龍安寺の蹲(つくばい)。
写真にあるように、中央の「口」を周りの文字と組み合わせ、時計回りに文字を読むと「吾唯足知」となる。
「われ ただ たることを しる」

「東洋のロックフェラー」、薩摩次郎八*2。木綿王と呼ばれた大商家の三代目であった彼は、花の都PARISの社交界で放蕩の限りを尽くし、約30年で600億円も使い果たす。結果、無一文となり帰国。ストリップ嬢の世話係として劇場の住み込みを始める。失意のどん底にあってしかるべき状況でも彼は、華やかな社交界の話を劇場で語り聞かせ、ホラ吹き爺さんとして人気を博す。有り余る程の金があっても、無一文であっても、全く同じように、人生を楽しんだ。

老子は言った。「自勝者強 知足者富」と。
知足の者は貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し


時には知足守分の美しさを思い出していたい。

*1:ご存知水戸黄門

*2:巴里ではバロン薩摩と呼ばれ、藤田嗣治らのパトロン