心を重ねて

全てを悟る瞬間がある。
処世の要諦は、
主我的な考え方を棄て去ることとは違う、と。
 
とある番組で、10代の心に響いた歌として、
次の歌詞のフレーズが紹介されていた。

「ずっと前からキミが好きでした」
Oh 精一杯の想いを全部
今すぐ伝えたいの
でも傷つきたくない
嫌われたくない
でも誰かに取られたくもない

満場一致で共感できるという若者の賞賛の声に対し、
「ただ、気をつけないと、『自分が』『自分が』と
 常に自分中心に考える自分病にかかってしまう」と
分析されているのを聞いて、
それはごもっともと賛同しつつも、
正論を唱え訓戒を垂れる手法では、
若者への助言としては、
正鵠を射た指摘にはなっていないと感じた。
 
他人の考えや気持ちに影響を与えることはできても、
自在に操ることはできない。
ましてや、完全に一致させることはできない。
真っ向から否定すると必ず反作用が生じる。
かといって、相反する考えを歩み寄る努力だけでは、
関係を結びつけられない。
 
人と人を紛紜させる元凶は、大抵の場合、
両者の我欲が求める利害の不一致にすぎない。
 
誰もが、愛だの友情だの親切心などの美名のもとに
打算的な干渉を正当化する。
驕慢な底意を包み隠し、相手の思惑を忖度しつつ、
優しさに名を借りた独善的な強圧を繰り広げる。
それでも、利害が一致している場合は、
関係はうまくいく。
  
愛されたいという欲望と、
都合のいい関係が欲しいという欲望。 
相手にして欲しいという欲望と、
お金が欲しいという欲望。 
結婚を迫らないから、若い男とばかり浮気する人妻。
後腐れが無いから、既婚者同志のダブル不倫。
  
ところが、一致しない場合、これ程苦痛なものはない。 
求めているものが違っている限り、うまくはいかない。
 
いかなる好条件も
それらを求めていない人には響かない。

誰かを深く愛したい。
いつもそれを渇望している者は、
愛してもらえなくても、そんなことは一向に構わないのだろう。

反面、愛を受け取ってもらえないことは、
他の全てを得たとしたところで、虚無感に絡め取られるまでだが、
それは、愛することの愚かさを証明するわけではない。

心は、かくも複雑なのだから。

一年の計

かないっこないな。
両親や兄に会うたびにそう思う。
帰省したときの最後の見送りの
寂しがりようは尋常じゃない。
こんな大人になってもずっと変わらず
可愛がられている僕はほんとに幸せ者だ。
別れ際に見せる、あの淋しさを消そうとする
笑顔の有難さを感じられるようになったことが
何よりも幸せなんだと思う。  
   
そんな辛い別れの後に、今度は地元の友達が
元旦早々、会う時間を作ってくれた。
他の人にはとても話せないようなことまで
何でも話を聞いてくれたおかげで、
とても心が軽くなったし、
話していくうちに、気持ちの整理も付いた。
きっと、いつもこうして話せていたら、
不眠にはなってないんだろうな。
そうそう、実をいうとね、話をしている途中で、
二人きりで話してる状況に改めて意識してから、
今更ながら緊張してしまっていたんだ。
だって、初めて会った頃と変わらず
素敵だったから。

おまけに、帰りには寒い中、駅のホームまで見送って
くれるものだから、緊張は頂点に達したよ。
電車のドアが閉まったときに、寒さで曇った窓ガラスを
拭いた向こう側に見えた「じゃあね」と告げた友達の、
寒さで白くなった息を眺めていたら、
雪国の別れのシーンが、どうしてこんなに
センチメンタルなのか分かった気がしたよ。   

優しさと思いやりに触れたスタートを切った
今年のテーマは、「絆」にしようと思う。
大切な人たちに、感謝をいっぱい伝える、
そんな一年にしたいんだ。

いつも、ありがとう。
今年も、よろしくね。

雅量

二枚の三角定規で描いた
平行線のように
どこまでも真直ぐに続く轍
二人が辿り着いた得難い絆

誤解
理解
氷解
和解

乗り越えた数だけ
深めた信頼

これ以上求めようがない程
居心地がよい存在

何故だろう
繭の中の快適さは
時に閉塞感に変わる

高邁な理想を実践する充足感が
この心を捉え続ければよいのに

激情に絡め取られて
大切なものを失わぬよう
媚薬の呪縛を解き放ち
超然たる矜恃を持てますように


素敵な一年を有難う

すべてがあなたに

なにをしてても
どこにいても
だめなんだ
すべてがあなたに
つながっていく


なにをきいても
だれをみても
だめなんだ
すべてがあなたを
おもいださせる



はなれていても
ともにいても
だめなんだ
すべてはあなたで
あなたがすべて



涙が止まらないよ歌詞→http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03309

I miss you like crazy

「情熱的な思いは熱病みたいなもので、一時的な感情よ」
 
そんなことはない、と否定する代わりに
悪戯に歪めた口元を見つめる
 
 
冗談、冗談、と謝るときに
つい手を握るのも
 
寒いね、と言いながらも
地下通路を通らずに寄り添い歩くのも
 
終電時間を過ぎたことに気付かないほど
たくさんおしゃべりするのも
 
別れ際になるとそれまでと打って変わって
無口になるのも
 
さっきまで会ってあんなに話していたのに
またすぐに電話したくなるのも
 
 
いずれ醒めてしまえば
露と消えると言うの?
 
 
平熱に戻るときが来たら
愚かな自分を笑うだろうか
 
思った通りね、とあなたはまた
口を歪めるのだろうか

  
いつかそんな寂しい日が訪れるとしても
臆せずこの瞬間に感じている思いを届けよう
 
思いがけず熱病に共鳴したあなたがくれた
メールを時折読み返しながら

折り紙つき

今は未だ、
言葉或いは行為が至らないことで、
あなたに誤解を与えて傷つけたり、
不快な思いをかけたりするかもしれない。
穴だらけの理論や主張の矛盾に
ときに激しい反感を覚えるかもしれない。
怒りや憎しみが心を蝕み、
全てを放り出したくなるときだってあるだろう。
 
それでも。
 
伝えたい言葉があって、
繋がることを諦めずにいる限り、
氷解できる機会が得られる。
疑念のフィルターを外し、
互いの思いを信頼し、想像し合い、
言葉を紡ぎ合えば、
そこで見つかる配慮や期待を感じ、
更には強がり、不安、寂しさまでもを
思いやりを持って汲み取れば、
最後には、ごめんねと言い合える。
 
乗り越えた後は、試練の前よりも
ずっと太い糸で繋がっている。
意味の無い試練は、きっと無い。
 
でも、そこに到達できる確率は、
恐ろしく低いのだと思う。
大抵は、決裂してしまうもの。
どちらか一方でも、わがままな思いを
押し付けようとしたら、本当にお仕舞。
 
なかなか理解しあえる機会が本当に少ない中、
こうして共に成長し合える関係でいられるのは、
きっと、あなたと僕が
飛び切りのマリアージュだからだね。