時代を一新した仏蘭西近代詩の翻訳詩集3冊

優れた一冊の本には、時代に清新の気を吹き込む力が備わっている。フランスの近代抒情詩や象徴詩をオムニバスした名翻訳書3冊は正に時代を一新した。アポリネールランボオボードレールコクトー、ラフォルグがあれほどまでに優美で雅趣に富んでいるのは、上田敏(「海潮音」1905年本郷書院初版)、永井荷風(「珊瑚集」1913年籾山書店初版) 、堀口大学(「月下の一群」1925年第一書房初版)の翻訳によるところが大きい。

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

山のあなたの空遠く
「幸い」住むと人のいう。
ああ、われひとと尋(ト)めゆきて
涙さしぐみかえりきぬ。
山のあなたになお遠く
「幸い」住むと人のいう。


山のあなた  カアル・ブッセ

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

 
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。


げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

 
落葉(らくえふ)  ポオル・ヱ゛ルレエヌ

静かなるわが妹(いもと)、君見れば、想(おもひ)すゞろぐ。
朽葉色(くちばいろ)に晩秋(おそあき)の夢深き君が額(ひたひ)に、
天人の瞳(ひとみ)なす空色の君がまなこに、
憧るゝわが胸は、苔古りし花苑(はなぞの)の奥、
淡白(あはじろ)き吹上(ふきあげ)の水のごと、空へ走りぬ。


その空は時雨月(しぐれづき)、清らなる色に曇りて、
時節(をりふし)のきはみなき欝憂は池に映(うつ)ろひ
落葉(らくえふ)の薄黄(うすぎ)なる憂悶(わづらひ)を風の散らせば、
いざよひの池水(いけみづ)に、いと冷(ひ)やき綾は乱れて、
ながながし梔子(くちなし)の光さす入日(いりひ)たゆたふ。


嗟嘆(といき)  ステフアンヌ・マラルメ

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


春の朝(あした) ロバアト・ブラウニング

時こそ今は水枝(みづえ)さす、こぬれに花の顫(ふる)ふころ、
花は薫じて追風に、不断の香の爐(ろ)に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ。


花は薫じて追風に、不断の香の爐に似たり。
痍(きづ)に悩める胸もどき、ヰ゛オロン楽(がく)の清掻(すががき)や、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ、
神輿の臺(だい)をさながらの雲悲みて艶だちぬ。
 

痍に悩める胸もどき、ヰ゛オロン楽の清掻や、
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心(やさごころ)。
神輿の臺をさながらの雲悲しみて艶だちぬ、
日や落ち入りて溺るゝは、凝(こご)るゆふべの血潮雲。


闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心、
光の過去のあとかたを尋(と)めて集むる憐れさよ。
日や落ち入りて溺るゝは、凝るゆふべの血潮雲、
君が名残のたゞ在るは、ひかり輝く聖體盒(せいたいごう)。

 
薄暮の曲  シャルル・ボドレエル

  • 1913(大正2)年籾山書店初版 永井荷風「珊瑚集」

月今宵いよゝ懶(ものう)く夢みたり。
おびたゞしき小布団(クッサン)に翳(かざ)す片手も力なく、
まどろみつゝもそが胸の
ふくらみ撫づる美女の如(ごと)。

 
軟かき雪のなだれの繻子(しゆす)の背や、
仰向きて横(よこた)はる月は吐息(といき)も長々と、
青空に真白く昇る幻影(まぼろし)の、
花の如きを眺めてやりて、
 

懶(ものう)き疲れの折々は下界の面(おも)に、
消え易き涙の玉を落す時、
眠りの仇敵(きうてき)、沈思の詩人は、
そが掌(てのひら)に猫眼石の破片(かけら)ときらめく
蒼白き月の涙を摘取りて、
「太陽」の眼(まなこ)を忍びて胸にかくしつ。


月の悲しみ  シャアル・ボオドレエル

蒼き夏の夜(よ)や、
麦の香に酔ひ野草をふみて
小みちを行かば、
心はゆめみ、我足(わがあし)さわやかに
わがあらはなる額(ひたひ)、
吹く風に浴(ゆあ)みすべし。
われ語らず、われ思はず、
われたゞ限りなき愛、
魂の底に湧出(わきいづ)るを覚ゆべし。
宿なき人の如く
いや遠くわれは歩まん。
恋人と行く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。


そゞろあるき  アルチュウル・ランボオ

しなやかなる手にふるゝピアノ
おぼろに染まる薄薔薇色の夕(ゆふべ)に輝く。
かすかなる翼のひゞき力なくして快き
すたれし歌の一節は
たゆたひつゝも恐る恐る
美しき人の移香こめし化粧の間にさまよふ。
 

あゝゆるやかに我身をゆする眠りの歌、
このやさしき唄の節、何をか我に思へとや。
一節毎に繰返す聞えぬ程のREFRAIN(ルフラン)は
何をかわれに求むるよ。
聴かんとすれば聴く間もなくその歌声は小庭のかたに消えて行く、
細目にあけし窓のすきより。


ぴあの  ポォル・ヴヱルレエン

ましろの月は
森にかゞやく。
枝々のさゝやく声は
繁(しげり)のかげに
あゝ愛するものよといふ。
 

底なき鏡の
池水に
影いと暗き水柳。
その柳には風が泣く。
いざや夢見ん、二人して。
 

やさしくも、果(はて)し知られぬ
しづけさは、
月の光の色に浸む
夜の空より落ちかゝる。

 
あゝ、うつくしの夜や。


ましろの月  ポオル・ヴヱルレエン

寒くさびしい古庭に
二人の恋人通りけり。
 

眼(まなこ)おとろへ脣(くちびる)ゆるみ、
さゝやく話もとぎれとぎれ
 

恋人去りし古庭に怪しや
昔をかたるもののかげ。

 
――お前は楽しい昔の事を覚えておいでか。
――なぜ覚えてゐろと仰有るのです。
 

――お前の胸は私の名をよぶ時いつも顫へて、
お前の心はいつも私を夢に見るか。――いゝえ。
 

――あゝ私等(わたしら)二人脣(くち)と脣とを合した昔
危い幸福の美しい其の日。――さうでしたねえ。

 
――昔の空は青かつた。昔の望みは大きかつた。
――けれども其の望みは敗れて暗い空にと消えました。
 

烏麦繁つた間(なか)の立ちばなし、
夜より外に聞くものはなし。


道 行  ポオル・ヴヱルレエン

暖き火のほとり、燈火(ともしび)のせまきかげ、
片肱(かたひぢ)つきて頭(かしら)支ふる夢心地、
愛する人と瞳子(ひとみ)を合すその眼とその眼、
語らふ茶の時、閉(とざ)せる書物、
日の暮れ感ずるやさしき思ひ。
くらきかげ、静けき夜をまつ時の
いふにいはれぬ心のつかれ、
あゝわが夢心地、幾月のまちこがれ。
幾週日の遣瀬無さ、
猶ひたすらに其等を追ふ。


暖き火のほとり  ポオル・ヴヱルレエン

あゝ遣瀬なき追憶の是非もなや、
衰へ疲れし空に鵯(ひよどり)の飛ぶ秋、
風戦(そよ)ぎて黄ばみし林に、
ものうき日光(ひかげ)漏れ落(おつ)る時なりき。


胸の思ひと髪の毛を吹く風になびかして、
唯二人君と我とは夢み夢みて歩みけり。
閃く目容(まなざし)は突(つ)とわが方(かた)にそゝがれて、
輝く黄金(こがね)の声は云ふ「君が世の美しき日の限りいかなりし」と。

 
打顫(うちふる)ふ鈴の音(ね)のごと爽(さわやか)に響は深く優しき声よ。
この声に答へしは心怯(おく)れし微笑(ほゝゑみ)にて、
われ真心の限り白き君が手に吻(くち)づけぬ

 
あゝ、咲く初花の薫りはいかに。
優しき囁きに愛する人の口より漏るゝ
「然り」と頷付く初めての声。あゝ其の響はいかに。


返らぬむかし  ポオル・ヴヱルレエン

音楽と色彩と匂ひの記憶われに宿る。
逝きし日を呼び返さんとせば、
花をつみとれ。われに匂ひの記憶あり。
音楽の記憶われに宿れば、
怪しき律(りつ)のうごきは、
ノスタルヂヤのわが胸に昔を覚(さま)す。
花をつみとれ、楽(がく)を奏でよ。
何人(なんぴと)か、何事か。忘れしものを思起すに、
われには色の記憶あり。
われ思出(おもひい)づ、紅(くれなゐ)の黄昏(たそがれ)に、
わが恋人は打笑(うちゑ)みわれは泣きけり……
われには色の記憶ぞ宿る。


音楽と色彩と匂ひの記憶  エミル・ヴォーケエル

死なんとばかり我は悩みし其の夢知れる恋人よ。
さまざまのかなはぬ望みに飢えつかれ、
葡萄の棚に熟(みの)りたる葡萄つまんと我は久しく、
種まく人の如く唯(た)だ徒(いたづら)に腕を振りけり。
 

然るに君は優しき夢に微笑みて眠り給へる、
其の情(すげ)なくも静なる眠りぞ憎き。
爽(さわやか)なる朝風は爽なる朝(あした)のひゞきを伝へ、
夜(よ)は紅の東雲(しのゝめ)かけて明け行けり。
 

いざ行かん。望の光我等を導く美しき小山の方(かた)に、
苗植ゑしわが手づからに待焦れたる果物と
うつくしき葡萄の房をわれは摘むべく。
 

されどもし、些(いさゝ)かの草の芽だにもなかりせば、
待つと云ふかの禍の夢の中(うち)、いつも変らぬ
空しき夜明を眺むべく夕暮に山を下らん。


葡 萄  アンリイ・ド・レニェエ

まことの賢人は永遠(とこしへ)の時の間(あひだ)には
一切の事凡(すべ)て空しく愛と雖(いへど)も猶(なほ)
空の色風の戦(そよ)ぎの如く消(き)ゆべきを知りて
砂上(さじやう)に家を建つる人なり。
 

されば賢人は焔の燃え輝き消ゆるが如くに
開きては又散る薔薇(さうび)の花を眺め、
殊更に冷静沈着の美貌を粧ひて
浮世の人と物とに対す。
 
疎懶(そらん)の手は曉の焔と
夕炎(ゆふばえ)の火をあふらざれば
夕暮は賢者に取りて傷(いたま)しき灰ならず、
明け行く其の日は待つ日なり。
 

移行くもの消行くものの中(うち)にありて
我若(も)し過ぎ行く季節に咲く花の枯死(かれし)すは、
これそが定命(ぢやうみやう)とのみ観じ得なば
亦我も賢者の厳粛にや倣ひけん。
 

然(しか)るに纏綿(てんめん)たる哀傷の心切(せつ)にして
われは悔いと望みと悲しみに
又慰め知らぬ悩みの闇の涙にくれて
わが身を挫(ひし)ぐ苦しみの消ゆる事のみ恐れけり。
 

いかにとや。砂上の薔薇(さうび)の香気(かんばせ)も
吹く風の爽(さわやか)さ、美しき空の眺めさへ
永遠(とこしへ)の時の間(あひだ)にも一切の事凡て空しからずと、
我が哀れなる飽かざる慾の休み知らねば。


告 白  アンリイ・ド・レニェエ

わけなき事にも若き日は唯ひた泣きに泣きしかど、
その「哀傷」何事ぞ今はよそよそしくぞなりにける。
哀傷の姫は妙(たへ)なる言葉にわれをよび、
小暗(をぐら)きかげにわれを招(まね)ぐもあだなれや。
わがまなこ、涙は枯れて乾きたり。
なつかしの「哀傷」いまはあだし人(ひと)となりにけり。
折(をり)もしあらば語らひやしけん辻君(つじぎみ)の
寄りそひ来ても迎へねば
わかれし後(のち)は見も知らず。
何事もわかき日ぞかし。心と心今は通はず。


あまりに泣きぬ若き時  フェルナン・グレエ

月下の一群 (講談社文芸文庫)

月下の一群 (講談社文芸文庫)

こはボヘミヤの昔がたりなり。
真夜中の月の中に
逭ざめし漂泊人(さすらいびと)ありて
音(ね)を忍びヴイオロンひくと、


いつもやさしきその楽の音は
かの森の靜けさの中(うち)にて
ささやき交す戀人ばかり
此日まで聞くを得たるなりと。


わが愛人よ、今し、
月は黒きかの森に銀(しろがね)を着せたり、
来れ、われ等行きて聞かん
今宵月の中にヴイオロンの歌ふや如何に。


月の中の漂泊人    ジヤン・ラオオル

巷に雨の降る如く
われの心に涙ふる。
かくも心に滲み入る
この悲しみは何やらん?


やるせなき心の爲には
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響は
地上にも屋上にも!


消えも入りなん心のうちに
故もなく雨は涙す。
何事ぞ!裏切もなきにあらずや!
この喪その故知らず。


故しれぬかなしみぞ
實に(げに)こよなくも堪へがたし。
戀もなく恨もなきに
わが心かくもかなし!


われの心に涙ふる    ヴエルレエン

宇宙かね?
――おれの心は
そこで死んでいくのさ
あとものこさずに‥‥。


最後の一つの手前の言葉 ジュウル・ラフォルグ

砂の上に僕等のやうに
抱き合つてる頭文字
このはかない紋章より先きに
僕等の恋が消えませう


頭文字 レエモン・ラディゲ

窪田般彌の労作「フランス詩大系」の新装版が今年6月に出版されたが、Amazonでは早くも1点在庫のみだった。この本も素晴らしい偉業であった。

フランス詩大系

フランス詩大系