傷つくのが怖けりゃ恋なんてしないほうがいいのかもね〜理不尽は理不尽なまま

「自分語りが止まらない女性をおとなしくさせるのに最も効果的だった方法」への反応に答えて、補足を書こうと思うのだが、まるで納得が得られない内容になりそう。サーセン><

瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の われても末に 逢はんとぞ思ふ  祟徳院 *1

僕が信じているのは運命ではない。まして恋心ではない。もし誰かの心を意のままに操ろうとするなら必ずや挫折するであろう。
僕が信じているのは、自分の心。
状況に左右させない、決して失うことのない希望の光。*2


ところが、どうであろう。
その固く誓った心と心が触れ合う喜びを失った途端、孤独がまるで巨大な怪物に思えてしまう自分がいる。

わたしにはそのときに理解できたの。
わたしたちは素敵な旅の連れであったけれど、結局はそれぞれの軌道を描く孤独な金属の塊に過ぎなかったんだって。
遠くから見ると、それは流星のように美しくみえる。
でも実際のわたしたちは、ひとりずつそこに閉じこめられたまま、どこに行くこともできない囚人のようなものに過ぎない。
ふたつの衛星の軌道がたまたまかさなりあうとき、わたしたちはこうして顔を合わせる。
あるいは心を触れ合わせることもできるかもしれない。
でもそれは束の間のこと。
次の瞬間にはわたしたちはまた絶対の孤独の中にいる。
いつか燃え尽きてゼロになってしまうまでね。


村上春樹 『スプートニクの恋人』 *3

本当は怖いのは、僕のほうに違いない。
本気で人を好きになって、失ったときに、再びあの苦しみを味わうという恐怖に耐えられず怯えているのかもしれない。
不安で相手の気持ちを確認したくなっているのは、実は僕のほうかもしれない。

自分の戻ることのできる場所。自分が自分でありつづけることのできる場所は、まだそこにあるだろうか。

好きだから距離を置く、好きだからそばに寄る - 忘却防止。

もし、関係を素晴らしくしたい、成長させたいと願うのならば、日々、きちんと向き合って話し合い、折り合いをつけ、言い争ったり、意外な発見をしたり、誤解を解いたり、意地らしさに感動したり、秘めたる想いの美しさに心を奪われたりして、関係を築くべきなのだろう。事実、そうやって話し合って、より関係が深まった経験は何度となくある。


しかし、過去のトラウマであれ、生来の性格であれ、心と意識が調和しないままに、他者との健全な関係を望むのは難しい。

いっぺんきちんと確認すれば「あらあなたにとってはそうなのね、わたしにとってはこうなのよ、じゃあ、このくらいでどうかしら?」で済む問題なのです、そのこと自体は。
 でも、なんで、相手が悪いことを確信できているのだろう、って思うのです。「言葉の違い」に思い当たらず、「確認してみよう」とか思わず、自分の行動を変えてみようと思わないのだろうと。もっと言えば、「相手が「なんで好きって聞くの?」って、理由も聞きもしないで、相手のことを変えられる」とは信じているのか。  (中略)
おんなじものが見えるべき、おんなじことを思うべきという意味ではなく、見えない物の説明の難しさと、その阻む原因の小ささが気になる話。

あたしのこと好き? - 星の旅

id:SeiSaguruさん*4の指摘はごもっともで、「他人と自分を傷つけない為のlifehacks」「考えてたところに近い」とコメントされているのと考え合わせても、僕の記事の主張を理解できないとするのは当然だと思う。


では何故、コミュニケーション論の見地から承服できない主張であるとの自覚がありながら、僕は理不尽な行為をしているのか?
それこそが、本来、僕が彼女に語るべき(またブログに書くべき)ことなのだと思う。
しかし、肝心なことを僕を口にしないままでいる。厳密に言えば、できないでいる。*5


それでも、不思議なもので、完璧と思える恋の駆け引きを楽しんでいた過去のシャープでスマートな元カノとの恋愛は、あっけなく散っていたのに、まるで、のだめと千秋のような歪(いびつ)な今の関係は、隠すことなんてなにひとつない、清濁併せ呑むような、奇妙な居心地の良さが続いている。つまり、(肝心なことは言えずとも)お互い好き勝手言い合っているわけだが、きっと他人が二人の会話を聞いたら驚くのだと思う。id:mike_nさんが「『嫌われているのに気付かずアタックを続ける女を罵倒する男』構図かと思った」のは無理もないことかとw。*6


それでも尚、かくあるべきとする正しさを目指し、抱えている心の闇にまともに対抗し続けると決心するならば、苦しみ抜いた末に、真の希望の光を見出せるのだろう。それについては一切否定しない。
一方、それは無理だと決め付けて、誠実に生きることを嘲笑する人生を歩むのも簡単であろう。そこへ陥る危険性は常に自覚している。


そのぎりぎりのところで鬩ぎ合い、なんとか前を見ようとしていられるのは、この不完全な自分をそれでも愛そうとしている(自分を信じるという文字通りの意味での)自信と、時には闇を闇のままで描き、時には眩き光の世界への妄想を描くことで昇華させてくれる「(主に小説や詩を)書く」という行為が、cathartic effect(カタルシス効果)を与えてくれるからだ。


その意味で、ブログを書くという行為は、臆病な自分と向き合う個人的な時間だといえよう。*7


おすすめタグ [ヤンデレ]


後日談を下の注釈8に追記した。どんだけウザいのか知りたい人だけどうぞ。 *8

*1:百人一首第77番。「川の流れが速いので、岩に堰き止められた流れは、二つに分かれても、再び一つに戻ります。たとえ二人の仲を裂かれても、この川の流れのように、また必ず会いに行きます。」

*2:このあたりは聖書の「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(コリント一13:13)の影響もあるのだと思う。

*3:唐突に急展開し、しかし、穏やかな空気を漂わせるラストは、何故か希望を感じさせる。→ 「そして唐突に電話が切れた。ぼくは受話器を手にしたまま、長い間眺めている。受話器という物体そのものがひとつの重要なメッセージであるみたいに。その色やかたちに何か特別な意味が込められているみたいに。それから思いなおして、受話器をもとに戻す。ぼくはベッドの上に身を起こし、もう一度電話のベルが鳴るのを待ちつづける。壁にもたれ、目の前の空間の一点に焦点をあわせ、ゆっくりと音のない呼吸をつづける。時間と時間のつなぎ目を確認しつづける。ベルはなかなか鳴りださない。約束のない沈黙がいつまでも空間を満たしている。しかしぼくには準備ができている。ぼくはどこにでも行くことができる。」

*4:もしも「はてブのお気に入りを紹介します」記事を書くとしたら、星の栞の「感動」タグ「のっとふぉあげっと」タグを真っ先に採り上げます。Nice Bookmark.

*5:ところが、まるで代弁者のように語ってくれた増田がいて驚いた→「元カノを過去にするということ」

*6:補足として、これだけの説明で終わってはあまりに失礼だとは思うが、僕の背景と彼女の背景と、更に二人の関係の背景を書いて説明しないと伝わらないこともあって、とてもブログでは書き切れない。その代わり、私小説として発表する予定ではいる。

*7:だからこそ、このブログの最高の読者は、自分自身となる。これまでも、過去記事を読むだけで、どれほど癒されたことか。

*8:悪い予感は大抵当たるもの。「ねーねー、あのさー」の声が、風船を貰った子供のように、いつにも増して弾んでいる。「なに?」「ブログに書いてた私小説ってさー、主役は私なんでしょー」  以下略。小説のタイトルは決まっていて、「もし私にとって完璧な人が世界のどこかにいるとしてももう出逢わなくてもいい、と彼女は言った」  これは彼女が実際に言った言葉。かなり長いのだが、強く印象に残ったのでそのまま採用した。