世界恋愛名詩集

昨年のクリスマスは恋愛詩の金字塔 黒田三郎「ひとりの女に」を書いたので今年も恋愛詩を紹介しようかと思う。
今回は訳詩集で、1967年発行の名アンソロジー、角川書店「世界の詩集」シリーズ第11巻「世界恋愛名詩集」(宗左近編)。
この巻では、既に他の巻で採り上げられた10名の詩人と女流詩人(「世界の詩集」第12巻が「世界女流名詩集」の為)は除かれ、更に西欧文化圏諸国だけに限定されている。また、芸術性の高い恋愛の名詩を集めた西欧詩史ではなく、詩の表現している恋愛の内容の多様性の均衡によって明確化される西欧精神史を標榜した構成となっており、その為、全125篇は以下の4つのテーマで分類され、並べられている。

  • 「愛の故郷」(ギリシア、ローマ、イタリア、ロシア) 恋愛感情に複雑な屈折がなくひだに乏しい。いったに明るくて素朴。ギリシアとローマは市民的、イタリアは騎士的、ロシアは生産者的
  • 「愛の智恵」(イギリス、アメリカ) 恋愛から支配されないで逆に支配するようにしようとする意志に貫かれた詩。実業家風に意思的で現実主義。
  • 「愛の深遠」(ドイツ、東欧諸国、北欧諸国) 肉体に対し圧倒的な優位性を持つ魂(アートマン)の運動工程の軌跡形而上的(ロマンチック=人間を含めた全てを、大自然という絶対の相下に見る)。至高の美へ祈らざるをえない生の危機感の絶望的な劇甚が、形而上的酩酊を与える。
  • 「愛の現実」(フランス、ベルギー、スペイン、ラテン・アメリカ諸国)

魂と肉体の二元は平衡調和されている。加害被害同時享受存在としての自己認識の上にたつ叙情も、自虐趣味が強過ぎて加虐意識が弱過ぎる為に感傷性が濃厚な叙情も、宮廷恋愛が遠く光を送って咲き出させた心情の花。中世までの神への殉教の精神が、ボードレールによって玉座に美を据えられる革命以後、近代詩となった。自然は美のしろしめす宮居という思想にたち象徴派詩人は幽玄の調べを奏でた。やがて、肉体(物質)が精神に対し存在目的としての復権要求の闘い=シュールレアリスムが誕生し、理性の働きの影に隠されている物質のエネルギーを一挙に解放させようとした。換言すれば、文明によって枯渇した物質の生命力の原始を再獲得しようという闘いである。ここに、再び加虐自虐同時存在の、奇妙に悩ましく殉教者的な呻き声が、いわば発光すりょうな美しさが生まれる。恋愛とは、その感情を抱く人の内部において加虐被虐作用を持つ。男女が愛の交換をするということは、その加虐被虐を更に複雑に組み合わせた行為であり、二重にも三重にも「死刑執行人にして死刑囚、刃にして傷」(ボードレール) である。最早、何物も生産しない単なる享楽者である。
 
かつて、人類の始まりに於いては、愛が人間の根源であった。しかし、現在、愛は人間の何であろうか?いや、そもそもどんな姿で存在するのだろうか?ひょっとしたら、断頭台に乗せられているのではないだろうか? 
 
以上のように、この本では恋愛詩を通して、西欧精神の風土を遍歴している。しかし、この記事では、作者の出生年順で編年体時系列に掲載することとする。

  1. イビュコス(紀元前6世紀)(希) 「春されば」
  2. アナクレオン(紀元前570-480)(希) 「恋せぬことは」
  3. ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス(紀元前85-54)(羅) 「日は沈んでも」
  4. ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)(伊) 「泣け、恋知る人よ」
  5. フランチェスコ・ペトラルカ(1304-1374)(伊) 「マドンナ・ラウラの世にありし時」
  6. ジョヴァンニ・ボッカチョ(1313-1375)(伊) 「われは若き身春なれば」「いかなる女の嘆きとて」
  7. モーリス・セーヴ(1501-1560)(仏) 「我が心 君より離(さ)かる時」
  8. ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)(仏) 「エレーヌへのソネット」「マリへのソネット
  9. ウィリアム・シェイクスピア(1564-1615)(英) 「多くのものを」
  10. ジョン・ダン(1572-1631)(英) 「夜明け」
  11. ベン・ジョンソン(1572-1637)(英) 「影」
  12. ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(1711-1794)(独) 「恋のうた」
  13. マティーアス・クラウディウス(1740-1815)(独) 「フィデーレ」「愛」
  14. ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)(独) ※「世界の詩集」第1巻
  15. ルートヴィッヒ・ウーラント(1787-1862)(独) 「帰郷」
  16. ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788-1857)(独) 「別離」
  17. ハインリッヒ・ハイネ(1788-1857)(独) ※「世界の詩集」第3巻
  18. ジョージ・ゴードン・バイロン(1788-1824)(英) ※「世界の詩集」第4巻
  19. アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)(露) 「焼かれた手紙」「名誉を願うこと」
  20. エドゥアルト・メーリケ(1804-1874)(独) 「猟人の歌」「おもいで」「問答」「恋びとに」
  21. ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフ(1814-1841)(露) 「なにゆえに」
  22. タラス・グリゴリエヴィチ・シェフチェンコ(1814-1861)(露) 「小曲」
  23. テオドール・シュトルム(1817-1888)(独) ※「世界の詩集」5巻
  24. アー・カー・トルストイ(1817-1875)(露) 「春なお早い」「陽はばら色の」
  25. イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ(1818-1893)(露) 「われは行きぬ、峰のあいだを」
  26. ヤーコフ・ペトローヴィチ・ポロンスキー(1819-1898)(露) 「口づけ」「ジプシーの歌」
  27. ウォルト・ホイットマン(1819-1892)(米) ※「世界の詩集」第10巻
  28. シャルル・ボードレール(1821-1867)(仏) ※「世界の詩集」第2巻
  29. ニコライ・アレクセーヴィチ・ネクラーソフ(1821-1877)(露) 「もえる手紙」
  30. ヤン・ネルダ(1834-1891)(チェコスロバキア) 「時計」
  31. ギー・シャルル・クロス(1842-1888)(仏) 「さびしさ」
  32. ステファヌ・マラルメ(1842-1898)(仏) 「嗟嘆」
  33. ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)(仏) ※「世界の詩集」第8巻
  34. ロバート・ブリッジス(1844-1930)(英) 「お別れしたく」
  35. フリードリッヒ・ニイチェ(1844-1900)(独) 「美しい肉体はヴェールにすぎぬ」
  36. ジャン・リシュパン(1849-1926)(仏) 「マリ・デ・ザンジュのうた」
  37. ジェルマン・ヌーボー(1852-1920)(仏) 「恋人」「接吻」
  38. アルチュール・ランボー(1854-1891)(仏) ※「世界の詩集」第6巻
  39. エミール・ヴェルアーラン(1855-1916)(ベルギー) 「今は善い時」「しずかに、しずかに」
  40. ジャン・モレアス(1856-1910)(仏) 「無題」
  41. アルベール・サマン(1858-1900)(仏) 「水上楽」「涙」
  42. ルミ・ド・グールモン(1858-1915)(仏) 「落葉」「雪」
  43. フィレンス(1858-1905)(仏) 「コックテール」
  44. ギュスターヴ・カーン(1858-1936)(仏) 「四月」
  45. マヌエル・グティエレス・ナヘラ(1859-1895)(メキシコ) 「マドリガル
  46. セミョーン・ヤコヴレヴィチ・ナードソン(1861-1887)(露) 「ある人の死に寄せて」「夢に見た」
  47. リヒャルト・デーメル(1863-1920)(独) 「不安な胸から」「夜の対話」「わかい梨の木の下に」「夜のためらい」
  48. ニールス・コレット・ヴォクト(1864-1937)(ノルウェー) 「波」
  49. フランシス・ヴィエレ・グリッファン(1864-1915)(仏) 「路傍の花」
  50. シービョルン・オプストフェルダー(1866-1937)(ノルウェー) 「薔薇」
  51. マックス・ダウテンダイ(1867-1918)(独) 「あなたの眼の中に」「わたしたちは海辺の」「月は燃える薔薇ですね」「薄紫のクロオバの野を」「大きな胡桃の木は」
  52. コンスタンチン・ドミートリエヴィチ・バーリモント(1867-1943)(露) 「宿命」「織物」
  53. フランシス・ジャム(1868-1938)(仏) 「哀歌」「愛しています」「お前のやさしい顔は」
  54. シュテファン・ゲオルゲ(1868-1933)(独) 「変遷」「結実の喜び」「花」「この梢をたたえよ」「いまなお誠実の」
  55. アンドレ・ジッド(1869-1951)(仏) 「アンドレ・ワルテルの詩」
  56. ポール・ヴァレリー(1871-1945)(仏) 「優しい森」
  57. クリスチアーン・モルゲンシュテルン(1871-1914)(独) 「嘆息」
  58. アルフレート・モンベルト(1872-1942)(独) 「ぼくは貝殻におおわれて」
  59. ポール・フォール(1872-1960)(仏) 「このおとめ」
  60. シャルル・ゲラン(1873-1907)(仏) 「心」
  61. ロバート・フロスト(1874-1963)(米) 「風と窓の花」
  62. マヌエル・マチャード(1874-1947)(スペイン) 「寝室」「せびりやの夜のうたげ」
  63. ライナー・マリア・リルケ(1875-1926)(独) ※「世界の詩集」第7巻
  64. マックス・ジャコブ(1876-1944)(仏) 「地平線」「断頭台」
  65. ヘルマン・ヘッセ(1877-1963)(独) ※「世界の詩集」第9巻
  66. アディ・エンドレ(1877-1919)(ハンガリー) 「僕はだれかに愛されたい」
  67. ギヨーム・アポリネール(1880-1916)(仏) 「ミラボー橋」
  68. ウォルター・カレー(1881-1903)(独) 「河のほとり」
  69. J・M・ベルナール(1881-1915)(仏) 「情艶綺語」「つらい恋の歌」
  70. フワン・ラモン・ヒメーネス(1881-1958)(スペイン) 「薔薇」「めざめ」「思い出」「アモール」
  71. ジェイムス・ジョイス(1882-1941)(アイルランド) 「ぼくの鳩よ」「ぼくの恋人は」
  72. ダヴィッド・ハーバート・ロレンス(1885-1930)(英) 「十二月の夜」「新年の前夜」「ヴァランタインの夜」
  73. ジュール・ロマン(1885-1953)(仏) 「恋はパリの色」
  74. フランシス・カルコ(1886-1956)(仏) 「秋の嘆き」
  75. ジョン・クロー・ランソム(1888-?)(米) 「別れ、続篇のない」
  76. ジャン・コクトー(1889-1963)(仏) 「山鳩」
  77. フランツ・ヴェルフェル(1890-1945)(独) 「切なき愛」「雨あがりのように」
  78. イヴァン・ゴル(1891-1950)(独) 「マレー乙女マニヤナの歌える」
  79. ペール・ラーゲルクヴィスト(1891-1974)(スウェーデン) 「心の歌」「目を閉じて」
  80. ペドロ・サリーナス(1892-1951)(スペイン) 「とおく への しつもん」
  81. E・E・カミングス(1894-1962)(米) 「私ノ恋人ハ」
  82. ロバート・グレーヴス(1895-1985)(英) 「失恋」「会話篇」
  83. ポール・エリュアール(1895-1952)(仏) 「恋の女」
  84. フィリップ・シャバネックス(1898-?)(仏) 「思い出」
  85. フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(1899-1935)(スペイン) 「望みのない恋」
  86. ミハイル・ヴァシーリエヴィチ・イサコーフスキー(1900-1973)(露) 「かれは一体だれでしょう」
  87. ラスール・ガムザートフ(1923-2003)(露) 「わたしは百人の娘に恋している」
  88. パブロ・ネルーダ(1904-1973)(チリ) 「たそがれのわたしの空で」
  89. ジャック・プレヴェール(1900-1977)(仏) 「きみのために恋人よ」「裏切られた恋人」「庭」「この愛」
  90. レイモン・ラディゲ(1903-1923)(仏) 「屏風」「頭文字」

 冒頭にも書いたように、本書では西欧精神風土の構成となっており、西欧精神風土の各テーマ毎の詳細な解説も一見の価値がある。古書としては比較的入手しやすいので、機会があれば是非手にとって読んでみてほしい。赤木靖恵女史による朗読のソノシートもついている。
 
  
コンスタンチン・ドミートリエヴィチ・バーリモント「宿命」 樹下節訳
 
わたしは太陽 君は月。わたしは利鎌(とがま)のような新月 君は金色の星。
月とある時わたしは太陽。星とある時わたしは月。昔もこの後も同じ。
わたしは分別 君は心情。わたしは心情 君は愛。わたしは鳥 君は遠くの鳥。
わたしは飛ぶ 君はかくれる。こうなるほかはなかったのだ。
おお いとしい幸福よ わたしは欲望 君はお噺話(とぎばなし) 君は秘密 そして宝石(ほうぎょく)。
君は真夜中 わたしは朝。わたしたちは六月のそらやけ。
わたしたちは口舌(くぜつ) そして歌 そしてうわ言。
 
 
ウィリアム・シェイクスピア「多くのものを」 花輪博訳
 
多くのもを見のがして一日を終わって、
眠っているときにわたしの眼は一番よく見えるのです。
夢のなかであなたを見る、瞼は閉じている、それなのにわたしの眼は、
闇のなかに浮かび上がったあなたの姿に向けられるのです。
このように、あなたの影さえもが一切の影を明るませて、
闇で見えない眼の前に耀くのであってみれば、
昼の光をあびたときには、もともとのあなたの姿は、
どんなに美しく眼に映ることでしょう。
あなたの姿の不完全な影が深い眠りを通して真夜中でも
わたしの眼にとどまって消えないのであってみれば、
昼間あなたを見るときには、どんなに、
わたしの眼は幸福な思いをすることでしょう。
あなたに会うまではわたしには、昼間も夜なのです、
夢であなたを見るときは、いつでも夜が明るい昼間に変わるのです。
 
 
ロバート・グレーヴス「失恋」 成田成寿訳
 
その眼は悲しみに敏感になり
草や葉が
一瞬一瞬伸びるのがわかる、はっきりと
燧(ひうち)石の塀を見抜くこともできる
あわてた魂が逃げ出すのも見れる
死んだ人の咽喉から。
 州二つ距(へだ)てたところで聞いて
人のまだいわない言葉がわかりる
わらじ虫やうじ虫の弱い
叫びが、その悲しい耳には鳴り渡る
そして かすかで とても
信じられない音も――草が露を吸う音、
みみずの話、蛾が顎を噛み合わせて
布施に孔をあけるのや
大きな荷物を名誉にかけて
運ぼうとする蟻の呻き声
(その筋肉は音をたて、息も細る)
蜘蛛のつむぐ時のひびき、
かぼそい囁き、つぶやき、溜息、
することもない地虫や虻(あぶ)などの。
 この男は悲しみに敏感になり
神のように、また泥棒のようにさまよう
内や外、下や上、
慰むことなく失った恋を探して。
 
 
ロバート・グレーヴス「会話篇」 成田成寿訳
 
月の光に
真夜中に
ぶどう棚の下に
ホテルの椅子が一つ
気むずかしくすわっている前の大見出しの
まだ たたんだままの夕刊紙
 
対になった椅子の
も片一方は
ひっくり返って
苦痛をこらえるようにかたくなり
怒って どさっとひっくり返されていた
そして そこに朝まで ああ そのままでいなければならぬ
 
テラスの上には
血の痕(あと)はない
ナイフの
むごい光も ない
細かく千切った手紙の切れ端もない
鈍く光る投げ捨てた結婚指輪もない
 
まだ しっかりと
テーブルの上に
二つの長柄(ながえ)のグラスが見ている
一方には飲み物が一杯
鼠がぶどうのつるの間を通り
月が崖のふちでふるえている
 
 
ベン・ジョンソン「影」 高橋康也
 
影を追いたまえ いつも逃げる
 逃げてみたまえ 追ってくる
女に言い寄りたまえ 嫌という
 ほっておきたまえ 言い寄ってくる
  されば 女とは げに
  われら男の影にほかなるまい
 
朝と夕に 影はいちばん長く
 真昼には 短いか 無いか
男の最も弱いとき 女は最も強い
 だがわれら完璧のときは かれらは無だ
  されば 女とは げに
  われら男の影にほかなるまい
 
 
エドゥアルト・メーリケ「猟人の歌」 富士川英郎
 
やさしきは高嶺(たかね)に千鳥足ふむ鳥の
雪にとどめし足のあと
さあれ さらにやさしきは わがよきひとの
繊(ほそ)き手に 恋文つづる水茎のあと
 
蒼鷺は猟矢(や)も弾丸(たま)も届かざる
空の高きに舞い上がる
さあれ いや高きかな 迅(はや)きかな
まことある恋のおもいの通い路(じ)は
 
 
エドゥアルト・メーリケ 「問答」 富士川英郎
 
どこかたこの物おじた恋が
心に芽生え
なぜいつまでもその痛い刺(とげ)をぬかぬ
と聞くのなら
 
言ってくれ 風はどうしてあんなに早く翅(はね)をうごかすか
清水はどこからその隠れた水を
噴き出すか
 
かけめぐる風を
では とめてみせるがいい
魔法の杖で
では 清水を封じてみせるがいい
 
 
フワン・ラモン・ヒメーネス「思い出」 荒井正道訳
 
1
 
やがて思い出に変わる この
瞬間とは何だろう
曙と恋と歓喜の あの日々の
―――あの日々のものゆえに―――
色も文(あや)もさだかならぬ
狂気の音楽
やがて消える
この音楽は 何だろう
 
2
 
瞬間よ残れ 思い出となれ
―――思い出となっておまえはいる
はてしない矢に死を走らせる
思い出となれ 遠くわたしのそばに―――
過ぎ去り 過ぎ行く おお 瞬間と言おうより
それは 思い出の中の永遠
 
3
 
遠い昔 過ぎて行った瞬間の
果てしない追憶
死の魂の永遠
瞬間よ 過ぎ去れ―――ああ―――
わたしはいる
瞬間はいま消える
おまえは何か
 
 
エミール・ヴェルアーラン「今は善い時」 高村光太郎
 
今は善い時、ラムプのつく時
何もかもこんなに静かで安らかな今宵
羽の落ちるのも聞こえそうな
しずけさ
 
今は善い時、しずやかに
愛する人の来る時
そよ風のように、けむりのように
しずやかに、ゆるやかに
 
人は初め何も言わない しかも私は聴く
その魂を、私はよく知って居り
不意に光ろ湧き立つのを見て
その眼に口づけする
 
今は善い時、ラムプのつく時
告白が
一日中かたみに思い合っていたと
深い、しかし透きとおった心の底から
うかんで来る時
 
そうして互いに平凡な事を話し合う
庭で取った果物の事
青い苔の中で
咲いた花の事
 
また古い引出しの底から図らず見つけた
昔の手紙の上の
消えうすれた愛憐の言葉の思い出に
心はたちまち花咲き、感動に捉えられる
 
 
ポール・フォール「このおとめ」 上田敏
 
このおとめ、みまかりぬ、みまかりぬ、恋やみに。
ひとこれを葬(ほうむ)りぬ、葬りぬ、あけがたに。
寂しくも唯ひとり、唯ひとり、のこしきて、
朝まだき、はなやかに、はなやかに、うちつれて、
歌うよう「時くれば、時くれば、ゆくみちぞ、
このおとめ、みまかりぬ、みまかりぬ、恋やみに」
かくてみな、きょうもまた、きょうもまた、野に出でぬ。
 
 
ギー・シャルル・クロス「さびしさ」 堀口大学
 
私は知っている、自分がお前を何時までも愛しはしないだろうと。
それを思うことはお前を愛することよりより多く私を痛ませる。
私のよろこびと悲しみのようにお前はいま私の中にある。
私のよろこびも悲しみもそうしてお前も何時かは私を去る筈だ。
 
今このように鞘のようにぴったりとお前を抱いている私、
この私に対してお前が一日、今日の路傍の人よりも、
無関心になる日がやがて来る筈だ。
 
なぜ私がさびしがるのか知りたいとお前は云っていたね。
―――分ったかい?
 
 
レイモン・ラディゲ 「頭文字」 堀口大学
 
砂の上に僕等のように
抱き合ってる頭文字
このはかない紋章より先きに
僕等の恋が消えましょう
 
 
マックス・ジャコブ「地平線」 堀口大学
 
彼女の白い腕が
私の地平線のすべてでした。
 
  
マックス・ジャコブ「断頭台」 堀口大学
 
ベッドの前の姿見づきの服箪笥
これは断頭台!
罪深い二人の頭蓋骨を映して。
 
 
フランシス・ヴィエレ・グリッファン「路傍の花」 菅野昭正訳
 
信じたまえ。恋の眩(くら)めきのなかにあるとき
生が、はたまた死が、あなたに何であろう?
あなたの強い魂に祈りたまえ、
夜が、はたまた昼が、あなたに何であろう?
よるただひとつの法則に通じさえすれば
あなたは広大な夢を夢見られるだろうから。
星々の光のもとに夜はなく
あらゆる影はあなたの心のなかにあるのだ。
 
愛したまえ。いましもたち現われる
恥辱が、はたまた光栄が、あなたにとって何であろうか?
あらゆる愛の委託をはこぶ
そのあなたの声で歌いたまえ、
心の底に秘めたときめきを語りさえすれば、
あなたは豪奢そのものの歌を歌えるだろうから。
避けられぬ宿命の災いというものはない、
あらゆる敗北はあなたのなかにあるのだ。
 
 
ジャック・プレヴェール「庭」 古賀照一訳
 
何千年何千年かかっても
とてもだめ まず
言いつくせるものじゃない
あの永遠の小さな一瞬を
あのきみがぼくを抱いた
あのぼくがきみを抱いた
遊星である地球
地球の上の
パリ
パリのモンスーリ公園の
冬の光のなかのある朝の
 
 
ジャック・プレヴェール「この愛(アムール)」 古賀照一訳
 
このアムール
こんなにはげしく
こんなにもろく
こんなにやさしく
こんなに絶望して
このアムール
陽のように美しく
お天気が悪ければ
お天気のように機嫌が悪く
こんなに真実なアムール
こんなに美しいアムール
こんなにうれしく
こんなにたのしく
こんなに人を馬鹿にして
闇夜にめざめた子供のようにこわさに震え
夜にまわりを取り囲まれた静かな男のように
自信に満ちて
このアムール ひとびとを恐がらせて
しゃべらせて
蒼ざめさせて
このアムール 見張りされて
だってぼくらはひとびとを見張っていたから
このアムール 追いつめられ傷つけられ踏みつけられしとげられ拒(こば)まれ忘れられ
だってぼくらは恋を追いつめ傷つけ踏みつけしとげ拒み忘れてしまったから
このアムール すみからすみまで
まだこんなに生き生きとして
はればれとして
これはきみのもの
これはぼくのもの
いつも新らしいもの
だったもの
変わらなかったもの
木と同じくらい真実な
鳥と同じくらい慄(ふる)えている
夏と同じくらい灼(や)けているもの
ぼくら二人はできる
行くこと 戻ること
ぼくらはできる 忘れること
それから眠ってしまうこと
めざめる 苦しむ 年とること
それからまた 眠ること
死を夢みること
眼をさますこと 微笑むこと 笑うこと
若がえること
そこにいきづく ぼくらのアムール
牡驢馬(おすろば)のようにつむじまがりで
欲情のようにはねあがり
記憶のように残酷で
悔いのようににがく
追憶のようにあまく
大理石のように冷たく
陽のように美しく
子どものようにもろく
微笑んでぼくらをみつめる
なんにも言わずに話しかける
ぼくは耳を傾ける 震えながら
ぼくは叫ぶ
ぼくは叫ぶ おまえのために
ぼくは叫ぶ ぼくのために
おまえにぼくは哀願する
おまえのためぼくのためまた愛しあっているみんな
愛しあったみんなのために
そう ぼくは愛(アムール)に叫ぶ
おまえのためぼくのためそしてほかの
見知らぬ連中のため
そこにいてくれ
きみの今いるところ
きみのむかしいたところ
そこにいてくれ
動かないでくれたまえ
行かないでくれたまえ
愛されたぼくら
ぼくらはきみを忘れたが
きみは忘れないでくれ
ぼくら 地上にきみ以外にはなかったのだ
ぼくらがむざむざ冷えこむのを放っとかないでくれたまえ
ずっとずっとむこうで いつの日にも
どこででも
くれたまえ 生きるしるしを
ずっとずっとのちに 森の隅から
記憶の林の中から
ふいにあらわれ
手をのばしてくれ
救ってくれ。
 
 <追記>
 
去年のクリスマス・イブはYOSHIKA のアルバム「World」リリース記念で、 Apple Store 渋谷でライブがあった。そのときの動画YOSHIKA 「World」